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December 29, 2005

『下流社会』

 三浦展(あつし)さんの『下流社会』(光文社新書)をいまさらながら読んだ。三浦さんといえば、パルコの『アクロス』編集長をつとめ、著書もこのところいろいろなところから出している気鋭のジャーナリストだ。経歴だけを見てもマーケティングというか、時代を読むセンスに優れている人だということは想像がつく。

 内容の詳細は本を読んでもらうか、書評サイトを見ればだいたい分かるが、筆者の主張をひと言でまとめれば「日本のいわゆる中流階層は消滅し、大部分を占める“上昇志向を持たぬ下流階層”と、“一部の富裕層(上流階層)”に分裂する」というものだ(誤解を受けると困るので詳しい内容については中身を読んでくださいね)。

 「上流」「下流」の区分というのは、当然経済的な「豊かさ」が条件になるが、それだけでなく、いわば上昇意識を持つか否かという点も含まれるというのがこの本のミソだ。ただし、この考え方自体は山田昌弘さんの『希望格差社会』をそのまま引用しているわけだけど。上昇志向を持たぬことを「下流」を言い切る潔さが面白いところだ。

lower_society 「現在は、将来の所得の伸びが期待できる少数の人と、期待できない多数の人、むしろ所得が下がると思われる少なからぬ人に分化している。多くの人が共有できた上昇への希望が、現在は、限られた人にしか与えられない」(109ページ)という文章の上には、路上で眠り込む若者の写真が大きく載せられ、キャプションには「希望を失った若者が街中に倒れ込んでいる」(画像)。写真を見るだけでは、倒れている若者が「希望を失っ」ているかなど分かるはずもないし、こうした若者が「街中に」倒れ込んでいるかというと、正直疑問が残る。

 ちょっと揚げ足取り的だけれど、この本では上のような読む者のインパクトを強める演出/レトリックがあちこちにちりばめられている。良い悪いは別にして、こうした演出的な発想は学問畑からは生まれてこないもので、雑誌づくりの発想といえる。

 三浦さんはさらに続けて、「希望が持てるかどうかが、個人の資質や能力ではなく、親の階層で規定される傾向が強まっている」という。様々なデータを持ち出してこのことを説明しているが、なぜ親の階層で規定されるのかというの理由、すなわち「希望を失うメカニズム」という肝心の問題については書かれていない。

 いろいろなサイトの書評を見ていると、「サンプル数が少ない」とか「決めつけが多すぎる」といった批判がでている。たしかにそうかも知れないが、これらの難癖はアンケート統計を使った論考にはよくあることで、取り立てて大きな問題ではない、と個人的には思っている。もっと詳細な計量分析を読みたいなら大学図書館とかでいくらでも読めるが、それらは圧倒的につまらないももばかりだ。『下流社会』という本の魅力は、理論の正しさよりも、「面白さ」そして「感覚的に何となく納得できる」ということなのだから。

 ここからは勝手な想像になるが、長年若者のポピュラーカルチャーを見つめてきた三浦さんは、直感的に「下流社会」の到来を感じ取っていたのではないのだろうか。データから帰納的に理論を導き出すのではなくて、まず自らの感覚から出発して、それを多少なりとも客観性を持たせるために(サンプル数が少ないながらも)統計を援用したのだろう。ただ、引用している統計のほとんどは「カルチャースタディー研究所」のweb調査(!)なので、データの信頼性という点ではかなり怪しいが……。すくなくとも学術論文では、webアンケートによる量的調査資料が利用されることは(よほど特殊な事情がない限り)まずありえない。

 とまあもっと書きたいことはいろいろあるけど、だいぶ長くなってしまったのでこのへんで。ともあれ、この『下流社会』は、読み物としての面白さは十分にある本だと思う。

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