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August 27, 2006

『「あたりまえ」を疑う社会学』

Atariamae 簡単に紹介。著者の好井さんは、経歴を見るとエスノメドロジーが専門だそうで、著書を読んだのは初めて(不勉強ですいません…)。「わたしたちはいかにステレオタイプな視点で物事を見ているか、それをただすにはどうすればいいのか」というのが主なテーマだと思う。これらを通じて聞き取り調査のフィールドワークの可能性と魅力について語る。

 「ゲイ」、「在日朝鮮人」、「被差別部落」、「外国人労働者」あるいは「女性」というカテゴリー、新しくはいわゆる「ニート」など、世の中にはいろんな差別(語)が存在している。それをなくそうとする努力が無駄に思えるくらいに。「その言葉には、支配的な文化や価値を生きている人々があてはめた勝手な意味がこめられている」と好井さんは言う。この状況にあって、社会学(者)は何ができるのだろう?

 「マイノリティとされる人々は、こうした言葉や言葉がつくる決めつけに対して、どのように対抗し、せめぎあって生きているのか。あるいはこれをどのようにすり抜け、揶揄しつつ生きているのだろうか。
 世の中がもつ差別的なものを考えたいを思う社会学者は、このような問いをたて、マイノリティとされる人々と、彼らが暮らしている現実と出会おうとする」(118)

 もうひとつ、別の文脈だけど。

 「傍から見れば、ささいなつまらないできごとであっても、それを生きる〈わたし〉にとっては、とても“とても大きな深い”ものであるかもしれない。(中略)世の中のきまりやものの見方、標準的な理解では、おさまりきらないような生きる意味があるからこそ、人は、語り、書くのではないだろうか。

 自分は世の中を生きている圧倒的多数の中の一人にすぎない。しかし、それは砂漠の中の砂粒ではなく、個性をもち、自らの視点で、世の中を眺め理解し、生きている、他の何ものにも代替できない一人なのだと。

 そして、かけがえのない一人が書く自分史は、それを読みたいと思う人々によってその意味が確かなものになっていく」(176)

 「なぜ書くのか?」というのは、なんとなーく頭の中ではわかっていたことだけれど、こうしてきちんと言語化できる好井さんには感服。語らない/語られない個人史を引き出すところに、フィールドワークの難しさと可能性が秘められているという。社会学を志す人も、その道をあきらめた人も、あるいは興味のない人でもおもしろく読める1冊。

【2006年・好井裕明著・光文社新書】

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