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December 21, 2007

自由とは何か

Imgp0678『自由とは何か』大屋雄裕、ちくま新書。なんてストレートな書名! ステキすぎる。あえてここまで正攻法なタイトルを付けた筆者の度胸にまず感服。カバーの文章もすばらしい。

「なにを持って『自由』とするか」ということは延々語られてきたテーマだけれども、自分自身このことについて深く考えたことはなかった。

「自由」な行為を許されているとしても、「自由」な行為ができるための資源が保証されていなくてはいけない。移動の自由が許されていても、旅行や引っ越しにはお金がなくては実現できないわけで。たとえば農業をやっていて、1日休めば稼ぎが台無しになるような仕事をしていると、休める保証が与えられなければその「移動の自由」はないに等しい。

あるいは、自分がいま享受している自由は誰かの犠牲に立ったうえでのことかも知れない。たとえば、(ヨーロッパの)「ギルドという共同体内部の自由は、外部を排除することによって成立していた」(35)。

もうひとつ、いわゆる「自由主義」陣営たる日本にいても、わたしたちは何をしても許されるわけではない。モノを盗んだり、誰かを殺したりすれば、「警察」という名の、拳銃で武装した国家公認暴力機関に捕まる。彼らが存在するおかげでわたちたちは、自由な行動が制限されてしまっているわけだ。そう考えると、警察は自由の敵なのか。

「近代国家の存在意義はある領域の中で犯罪や不正な権利侵害を抑制し、人々の生命・安全・自由といったものを守る点にあるのだから、そのためには国家が合法的な暴力を独占している必要がある」(95)。

自由を守るために自由が制限される…って微妙な話だ。アメリカは「自由を守る」ためにテロとの戦いを続けているようだが、一方で、そのおかげで抑圧されている自由はいくらでもある。

「…そのように個々人の抵抗を物理的に排除できる国家が、自由に対する潜在的な脅威になることは間違いない。国家が不当にわれわれの自由を侵害する決意を固めたとして、我々がそれを物理的に阻止することに成功する見込みはないからだ。しかし同時に、それが我々一人ひとりの自由を守るためにつくり出された暴力だということも事実なのである」(95)

警察は嫌いだけれど、なくてはならない存在であることは確かなようだ。でもこういう暴力機関がないとやっていけない世界ってのもなあ。

おもしろいこと書こうと思ったけど、つまらん問答になってしまった。けど、もう1回ぐらい考えます。

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