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February 28, 2008

ジュネーブに行ってきます

去年に引きつづいて、スイスのジュネーブに行く。まあ仕事がらみなのでほとんど行って帰ってくるだけなんですが。

よく「ヨーロッパに行く」というと、優雅な印象を持たれるのだけど、この仕事に限って言えば現実はそんなものではない。分単位の締め切りで(ヨーロッパの夜は日本では業務時間内)真夜中でも平気でバンバン催促の電話はかかってくるし、ネット環境が悪いので画像1枚送るのにも一苦労だし、ということで滞在中はとにかく冷や汗かきっぱなし。

とはいうものの、どんなに忙しくても、72時間眠れなくても、日本にはない風景を目にしたり、片言の英語で現地の人とコミュニケーションすることは、自分にとってはものすごく楽しくて新鮮なわけで。言葉が通じないからこそ、こちらの思ったことが相手に伝わったときの喜びはおおきい。この喜びを常に感じていたいので、英語は上達したいとは思わない(すごく言い訳がましい…)。

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February 17, 2008

トンネルを抜けるとそこは海だった

Imgp3709Shonan今週末は海へドライブ。先週の銀世界とは打って変わって、春を思わせるおだやかな陽気。海沿いを走ったのは葉山から江ノ島までの10数kmだったけれど、渋滞のおかげでたっぷり海を拝めることができた。山も良いけど海も良いね。

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February 14, 2008

スキー

Imgp3513Imgp3527この連休は長野県の八千穂高原までスキーに行ってきた。スキーなんて何年ぶりだろう!! 高校の時のスキー合宿以来だ。

この日のために、Pandaにはスタッドレスを履かせ、ウェアも当日どうにか間に合わせて準備は万端。佐久穂に住む兄の家に1日泊まらせてもらって、いざゲレンデへ。

Imgp3559Imgp3574前日のよるに40cmもの積雪があったおかげで、ゲレンデのコンディションは最高。だが、本人の滑りはまったくもってだめだめ。14年前に取った杵柄はもはやその面影はなく(14年前もまともに滑れていなかったけれど)、完全にボーゲナー。しかも腰が引けて転びまくり。尻餅をつく自分を横目に小学生らが横を滑り降りてゆく…。ああ、なさけない…。丸二日、内股全開で股関節が痛い。たぶんゲレンデでいちばん下手くそだった自信はある。

R0012295最後の方ではスノボの人とぶつかって膝を痛めてしまったりと、さんざんだったけれど、久しぶりにカラダを動かすことができたし、景色も最高によくて良いリフレッシュになったからまあいいとするか。つぎはちゃんとスクールに通おう。あーまだ全身が痛い…。なんか小学生の作文みたいな日記ですんません。

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February 05, 2008

輸入学問の功罪

Imgp3451_2ちくま新書『輸入学問の功罪』(鈴木直)を読む。

学生時代、ドイツ語も英語もできない自分にとっては、翻訳書だけが頼りだったが、その翻訳書もとにかく苦手だった。日本語としては全く理解できない文章の数々に苦労させられた日々を思い出す。この読みづらさは自分の勉強不足のせいなのか、それとも訳者が悪いせいなのかと煩悶したものだった。あるいは有志の勉強会では、自分たちの読解不足を棚に上げて訳者が悪いと決めつけたこともしばしばあった。

筆者の鈴木直氏は、翻訳書の読みづらさは逐語訳文体の伝統に由来するという。原文に忠実であろうとするあまりに、日本語としての読みやすさは無視される。そして、むしろその「読みにくさ」が、(カント、ヘーゲル、マルクスら哲学の大家がとなえる)真理なるもの到達するためには必ず通らなければならない道となるわけだ。そしてその“真理への道”は普遍化されてゆき、権威付けされていく。「真理は細部に宿るがごとく、権威主義は文体に宿る場合がある」(58)。

そしてそれは、市場の原理からも手厚く守られた一種の文化的な保護膜をかたちづくる。

「表現の快楽を抑制する倫理的なリゴリズム。具体的内容よりも抽象的操作を、意味よりシンタックスを、文脈よりも文法を重視する翻訳態度。原著への跪拝と読者への無関心。そこに欠落しているのは、訳者が同時に読者の目で訳文をたえず修正していく重層的で対話的な構造だ。

 立ち止まって考えてみれば、あの翻訳文体は、市場が生み出す消費文化から、あるいは世界共同体に組み込まれた国際関係の現実から目を背け、空疎なレトリックで自我の反問を表明してきた若きエリートたちの孤独感と社会化過程の表現だったのではないか」(150)

わたしたちがしなければいけないのは、すごく単純化して言えば、難しい・理解できないと思ったらそのことを素直に表明すべきと言うことだ。もちろん、自分自身で理解しようとする努力を前提したうえでの話だけれど。


けれども実はこの本を読んでいちばん感銘を受けたのは、ヘーゲルについての次のような解説文だ。『精神現象学』を何度繰り返し読んでも分からなかったことが、これを読んですごく明確になった。

「…下僕はこうして物の自立性に従属することによって、やがて物の世界の自立性を自らの意識に写し取っていく。下僕の意識は労働を通じて自らの外に出て行き、自然を加工する行為を通じて自らをも加工する。そして最終的には、物への従属から自立していくのだとヘーゲルは論じた。私が挙げた例を使えば、下僕は鶏を育てるという労働の労苦を通じて自然のルールを学習する。しかし同時に、それによって自然を支配していく力をも身につけていく。下僕は、自分の自由にはなってくれない鶏という『否定性』に直面することによって、じつのところ、自力で鶏を育てうる自立的主体へと成長をとげるのだ」(198)

ありきたりな人生訓的に言うと、トラブルは自分を成長させる糧である、ということになる。マルクスの理論に関連づけられるから、この説明は実に分かりやすい。

それにしても、だ。一歩引いて考えると、この説明は「おそらくは正しいのであろう」という気がするものの、本当にヘーゲルの真意であるのかどうか。この判断が自分自身にはできないのがどうにも歯がゆい。けっきょくのところ、わたしたちは自分の努力不足を責めると同時に、訳者を信じるしかない。あるいは、感じ方なんて人によって千差万別なのだからどういう解釈があってもいいじゃないかと、開き直るかだ。

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