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April 05, 2008

羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』(PHP新書)

Imgp5848羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』(PHP新書:2007)を読む。前著の『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房)は気になっていたけれど、値段が高すぎ(4410円。貧乏人は読むなということか)て買っていないから、羽入氏の作品はこれが初めて。

筆者には余計なお世話かも知れないが、読み物としては個人的に興味をひくテーマだけれども、あまり後味のいい本ではない。内容をきわめて強引にかいつまんで説明するならば、いわゆる「マザーコンプレックス」(筆者は頑としてこの用語を用いようとはしない)のマックス・ヴェーバーが、いかに母親から抑圧された人格形成を辿ったか、そしてその死に至るまでそのコンプレックスが彼の身体と精神を蝕んでいったかを(ヴェーバー的に言えば)理念型的に描き出している。

その発想がいかに飛躍しているか。引用したいところはたくさんあるけれど、一カ所だけ引用しよう。

「自分の人生の最も肝心な瞬間での決断力というものが、このヴェーバーという男には欠けている。それもしないでおいて、自分の母親宛にエミーの現在の病気を詳細に綴る、というのは一体どういう神経をしているのか。いつまでお母さんの子のままでいるのか。顎髭をたくわえ、ビール腹で、いくら男らしい外見を取り繕ってみても、この男の内心はあの臆病で、中庭を一人で通ることのできなかった子供時代のままなのである」(149)

ヴェーバーには、マリアンネという妻がいたが、そのマリアンネに出会う前、エミーという女性と知り合い、恋仲になっていた。だが、ヴェーバーは強気で勘の鋭いエミーと結婚したら、自分の母親(ヘレーネ)と決定的な対立を生むと無意識的に感じ取っていた。うえの文章は、結果としてヴェーバーはエミーが好きなのにもかかわらず(この論法自体がひじょうにヴェーバー的)、愛を告白できずにいたことに対して、筆者が評価を下した文章だ。

たしかに、筆者は伝記や著書を丁寧に追って、ヴェーバーのコンプレックスを見事に抽出してはいる。だけれども、だとしても、あなたにヴェーバーの何がわかるのか。伝記や手紙の一部分だけを引っ張ってきてここまで言い切れるものなのか、と問いたくなる断定ぶり。

この本の書評を見ると、考証的に真っ正面から批判しているものが多いようだ。けれども、浅薄なヴェーバー読者としてのわたしの感想としては、本書はヴェーバーの主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のパロディに思えてならなかった(筆者に失礼なのか賛辞になるのか分からないが)。その論法といい、筆者自身の体験が唐突に出てきて人生訓的な話が出てくるところといい、あとがきに資料の信憑性について確実なものではないという予防線を張っているあたりも、なんとなくプロ倫を思わせる。そういう意味では、ヴェーバーを批判している筆者本人の、その意識下において、ヴェーバーの存在がいかに大きいかが分かるような気がする。

この自分の解釈が筆者の意図と違ってても別に構わない。だって純粋に読み物としておもしろかったから。こう言い放てるのも、アカデミズムからさっぱり縁遠い場所にいるおかげだ。無責任ですいません。

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