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November 12, 2008

最後の戦後民主主義

筑紫哲也が亡くなった。ちょっといろいろと考えるところがあったので長文を。

小田実につづく筑紫の死をもって、いわゆる「戦後民主主義」なるものはここで終わったと思う。論壇でのオピニオンリーダーであった丸山眞男や大塚久雄をいわゆる第1世代というならば、その薫陶を受けてマスメディアの寵児となった筑紫は第2世代に当たるだろう。鶴見俊輔や加藤周一、あるいは日高六郎といった第1世代もまだ健在だが、オピニオンリーダーとしての役目はすでに終わっているし、第2世代には大江健三郎、より左向きになれば井上ひさしという巨人もいるが、やはり文壇の人、という印象は否めない(個人的には支持するが)。論壇とジャーナリズムの架橋という点では筑紫こそ丸山の正当な後継者とは言えまいか。実際、丸山眞男全集の小冊子では筑紫が追悼のコメントを寄せていた。内容は忘れたけども。

マスメディアという場で活動する以上は、さまざまな批判にさらされることは当然。しかし、そのなかで、正気を保ちながら自信の信念を貫いて意見を表明するには、(丸山の言葉を借りれば)それこそ相当な「強靱な精神力」が必要のはず。でなければ自身が出演しているテレビ局に向かって「死んだに等しい」という言葉など使えないはずだから。

ネットでは、彼らのような戦後民主主義論者に対する批判的な意見はひじょうに多い。だが、それらの意見は、筑紫が言うようにけっして“便所の落書き”とも言えない。少なくとも“ネットに意見を書き込むユーザー”というセグメントを切れば、そのうちの相当数は筑紫のようなオールドリベラリストに批判的というのは厳然たる事実だからだ。それは、裏を返せば筑紫が“マスコミ”を代表するジャーナリストの地位を与えられているということもである。まあ、じっさい筑紫はネットを“便所の落書き”程度にしか考えていなかったのは確かだろう。丸山がテレビを嫌い、筑紫がネットを嫌ったように、新しいメディアに対する蔑視ともとれる態度、言い換えれば「知的エリート」っぷりも戦後民主主義者のメンタリティを見事に反映していると思う。

なんだかいろいろ書いているうちに分からなくなってしまった。要するに自分が言いたいのは、筑紫哲也が亡くなった喪失感はとても大きかった、ということだ。久米宏のように軽薄で浮ついたセレブリティ臭のない、骨太の“マスコミ”ジャーナリストはこれから先、きっと出てくることはないだろう。

現時点で筑紫の地位に相当する存在なのは、(OhmyNewsで道を踏み外した)鳥越俊太郎ではなく、森達也なのだろうと思う。だが森は、茶の間で人気を博すマスメディアの人間でもなければ論壇で支持を得るような文士でもない。そしていまさら戦後民主主義者でもない。ただ、(特定の思想に束縛されないという意味では)もっとも純粋なリベラリストだと思う。その純粋さが、マスメディアから疎外されることによって担保されているというのは皮肉だが…。

ともかくも、News23のエンディングテーマであった井上陽水の「最後のニュース」は、聞き返す度に名曲だと思う。その影響力で言えば、井上こそが筑紫の後継者たりえるのかもしれない。そんなふうなことを考えていた数日だった。

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