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June 30, 2011

三田誠広『マルクスの逆襲』集英社新書(2009)

Imgp9246なんだか読み進めていくうちに文学者らしいナイーブさが表に出すぎているなあ、という印象と、いまの”実感”を文章にさせたらこの人の右に出る人はいないなあ、と思ったりも。『僕って何』、好きだったんだけどなあ。

「高校の研究会の仲間達が中心になって、わたしたちは大学生のデモに参加することになった。両側を大学生に守られた、ひよわな感じのでもであったが、御堂筋をいっぱいに拡がって行進するフランスデモも体験した。多いときはわたしたちの高校から50人くらいの生徒がデモに参加した。それまでごくふつうのガリ勉タイプだった生徒までデモに参加しているのを見て、わたしはいささか感動した」(94-95)。

「行動すること」そのものがあたかも正しいことをしているかのようにも受け取れるこのくだりは、全共闘時代を懐かしんでいるかのよう。

「日本は原則的に民主主義の国家なのだから、投票で、大貧民を救済する政党に一票を投じればいいのだ」(182)といいながら、階級による革命は否定するあたりが三田のアンビバレンツな立場を露わにしている。マルクスのテーゼは周囲を代えながら自らも変えていくことではなかったのか。

「人間は金銭だけでいきているわけではない。高度経済成長の時代なら、賃上げの要求だけで押し切れたかもしれないが、低成長の時代には、人間の行き方も、別のスタイルにシフトしていかなければならない。そこで重要になるのは、家族や親族、地域の共同体といったものだ」(183)

「郷土にたいする親しみというものは、人間が生きていく上で、生きがいや価値観の基礎を支えることになる。その郷土の延長線上に、日本という国がある。家族を大切にし、郷土を愛し、地方経済を立て直していくことが、国を発展させることにもつながっていく」(187)。三田の視点をあえてラベリングするなら、「国民主義的共産主義」ということになるのだろう。日本という”幻想的な”国民国家を想定して、家族そして地域、さらには国家を同心円的に配置する。戦前の皇国思想と異なるのはその頂点に天皇が存在していないという点だけだ(本書では言及していないだけで三田の想定には存在するのかも知れないが)。

こうした三田批判の分析はいかにも紋切り型と思われるかも知れないが、その立場が大きな矛盾を抱えていることは疑いはない。「いまの若者は消費にだけ目が向いている。生産することの喜びを教えなければならない」(217)。どれだけ就職活動にあくせくし、なかには絶望する学生が大勢いる閉塞したこの国で、文学者の立場でこんな楽天的な具申を平気でできる感覚を尊敬してしまう。

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