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August 20, 2011

『調査報道』2011年7・8月号(TBSテレビ)

Imgp7286『調査報道』はTBS本体が出している、「テレビ界の良心」とも言える隔月誌。

7・8月号の特集は「そのとき それから私たちは何を伝えたか〜東日本大震災と放送メディア」。震災から3カ月あまりを経て、テレビと災害報道のあり方を再検証するという内容。巻頭に武田徹、コラムに黒井千次、斎藤環、小熊英二、山田太一など、インタビューに小山薫堂といった学者・作家・ジャーナリストのジャンルを問わぬそうそうたる寄稿陣。

個々に論評すると長くなるのでひとつに絞ってコメントを。武田徹の「真に公正かつ公益的なジャーナリズムとは」。このタイトルそのものにちょっと口を挟みたくなる、というか「そのようなジャーナリズムは絶対に存在し得ない」というのが自分の意見だが、それを論じるとこの雑誌と関係ない話になるのでここでは措いておく。

武田は、「客観中立の報道への指向が、必ずしも十分な内実を伴ってこなかったことを報道関係者は心するべきだろう」と述べる(5)。

さらに武田は玉置明の主張に拠って、ニュースメディアで多用される「〜と言える」「〜とみられる」という表現について言及し、「記事は自動的に生成されるわけではないので、記事を書く主体はもちろん記者である。しかし「(記者である)私は〜とみる」と書いてしまうと、新聞倫理綱領の「ニュースの報道には記者個人の意見をさしはさんではならない」の文言に抵触する。(中略)つまり記者である「わたし」は同じように判断する多数(=「われわれ」)の代表としてそれを判断しているというスタイルを取る必要がある。そしてこの「われわれ」の主観的判断が集まって、客観性に漸近するという想定をしないと客観報道の枠組みの中で判断を下すことができない」(5)。

この主語が喪失した報道のもたらしたものは何かというと、「私見を述べようにも依って立つ主語がないのだ。しかし、その一方で「われわれ」の語は、表面上こそ消えているとはいえ隠然たる支配力を示す。「われわれ」の判断とは世間の感情に影響され、世の中の気分の風向きに報道が流されやすくなる」(6)。

こうした状況に対して、武田は「伝える主体の自覚」の必要性を訴える。震災報道の例でいえば、「問題や困難を抱えた当事者に話を聞き、一緒に解決策を模索する「ケアの倫理」」(7)が重要なのだという。「被災者をケアしようとする報道は、報道する記者自身や、報道そのものをもケアするのだ。そして実はそこにこそジャーナリズムのあるべき姿がみられるのではないか。特定個人との二人三脚で書かれ始めた記事は、社会の歪みとその解決法まで示せれば結果的に立派な公益的ジャーナリズムになる」(7-8)。

自分的には、記者が自身の立場や素性を明らかにした上で積極的なステートメントを発することは全く問題ないとは思っている。むしろ、媒体を盾に自身の意見を代弁させる感覚こそ疑うべきだろう。ただ、武田の言うような「当事者に寄り添うケアの報道」については、雇われ記者がそこまでの自覚をもち、身命を賭して当事者にコミットしていくのはあまりにも荷が重すぎるし、ビジネスの側面から見てもコストがかかりすぎて成立しにくいのでは、というのが率直な印象だ。

というのは、こうした内在的な観察と分析は「ジャーナリズム」よりも「アカデミズム」の領分であるからだ。「ケアの報道」的な手法は、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」をはじめとして、社会学の分野で公害/環境問題や被差別部落などの研究において、「参与観察」「生活史法」としてすでに数多くの実績がありその手法も確立されている。

また、「ケアの報道」で気がかりなのは、取材する当人も取材される側も「被災者を食い物にしてメシのタネを稼いでいる」という負い目を背負わなければならないと言うことだ。アカデミズムにおいても同様の理屈が通るかも知れないが、その収入の多くを私企業からの広告にたよる報道機関と公的な教育/研究機関とではその「お金の出所」に由来する立ち位置に大きな隔たりがある。自由に動きやすいのは断然後者だろう。ならば、報道の立場としては、ケアの報道ならぬケアの研究を進めるアカデミシャンたちの業績や動向を広く知らしめる立場に徹した方がお互いのリスクも小さく、役割分担も明確にできる。…という発想は功利主義にすぎるだろうか。

また、当事者に寄り添うがゆえのシンパシーが、スポークスマンの代わりとして利用された場合の影響の大きさも計り知れない。武田がいみじくも指摘した「世間の感情に影響され、世の中の気分の風向きに報道が流されやすくなる」という現状は、そう簡単には覆りそうもないからだ。

本誌では他にも、「あの記事を今、読み直す」というアンソロジー企画で筑紫哲也と吉永春子との対談や、「あるある大事典」のねつ造を巡って外注ディレクターの実体験に根ざした是枝裕和による論評、そして金平茂樹による「メディア論の彼方へ」と題された原発報道への悔恨と問題提起を含んだ架空対談など、見どころは非常に多い。

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