松尾理也『ルート66をゆく アメリカの「保守」を訪ねて』新潮新書
筆者は産経新聞の外信部の記者。東海岸や西海岸の都市部ばかりを訪ねていると、米国は民主党が政権をとってしかるべきと思うのに、大統領選のたびに共和党と民主党は拮抗する。米国の保守層というのもが日本にいてはまるで想像できない。リーマンショックの渦中、デトロイトに現地の労組(UAW)へ取材したときも、そこにいたのは"Buy American"を声高に訴える“愛国派の民主党員”だったから。
本書は、長年にわたって保守系の地盤となっている大陸中西部の都市を訪ね、米国における文字通り“保守”の源流をたどるというもの。そのルートとして筆者が選んだのは、シカゴから大陸中西部を抜けてロサンゼルスに至る66号線。いわゆる“ハートランド”と呼ばれる地域だ。
「(米国においては、)リベラルの論理とちがって、保守の論理は日本ではほとんど知られていない…アメリカの真ん中当たりに住む保守的な人々がみな、陰謀に満ちた奇怪な人々などということはありえないのである。現地に行ってみよう。どんな人々が、どんなふうに暮らし、モノを考えているのか、見てみよう」(9-10)
アメリカの保守を構成するひとつの重要な要素として指摘されているのは、コミュニティと一体化された、保守系白人層の心をつかんでやまないアメリカナイズされたカジュアルなキリスト教文化。もうひとつは、文学で言えばスタインベック、音楽で言えばウディ・ガスリーのような、一見「労働者の代表」である存在が保守層に根強く浸透しているという文化的背景。
「ガスリーは共産党シンパだったのかもしれないが、同時に田舎町を旅しながら草の根の「ふつうの人々」の物語を飽くことなく紡ぎ続けた点で、『保守』を体現した人物でもあったのではないか…」(209)
単純に紋切りなイデオロギーの対立軸で分別できないところに米国の保守層の不思議さと、得体の知れなさがあるのは確か。この人種のるつぼの国で、そう簡単に保守の論理を見つけることはできないだろうが、その底知れない奥深さを実感させてくれる一冊。
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